LOVOT TALK SESSION
松本 紹圭

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LOVOTとは、
気負いなく愛でられるロボット

仏教では「苦」にフォーカスしている?

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林:
先程、テクノロジーや文明の進歩は人を幸せにしたのかという問いがLOVOT開発の出発点になったというお話をしましたが(※前編参照)、仏教では幸せというものをどのように定義しているのでしょうか。
松本:
仏教の中に「幸せとはこういうものです」という明確な定義が存在しているわけではありません。ひとつ言えるのは、何かを手に入れるとか、何かを備えているとか、何かしらの条件が満たされることを指して「幸せ」とは言いませんね。自他の幸せを願うときは、心の平和、心の安寧のことを言っていると思います。むしろ、仏教では幸せよりも苦に注目しています。物事に対して、これは良いとかこれは悪いという明確なジャッジメントで判断するのではなく、むしろジャッジメントを手放すことによって“苦”がなくなっていくという発想なんです。その苦が生まれてくる源は、こうあらねばならないという思い込みや、こうあってほしい、思い通りにしたいという欲望です。言うまでもなく、人が抱く願望・欲望は叶うことばかりではありません。叶えられなければそこに苦が生まれます。ならば最初からこういう願望・欲望を抱かなければいいのですが、そうはいっても放っておくと自然と心の中からそれがどんどん湧いてくるのが人間です。ではどうやって手放すか。自分の心を見つめることによって、この自分の中に内在化している苦が生まれるからくりを見破ることから始まります。
林:
なるほど。とても興味深いですね。
松本:
これは古今東西共通していると思いますが、中でも大きな苦となるのが人と人との関係です。自分の生老病死も大きな苦ではありますが、愛する人と別れなければならない苦しみや、憎い人と出会わなければならない苦しみなど、人間関係も仏教の大きな苦の中に数えられているんです。

一般的に、幸福度を計測しようとする時、個人に還元しようとしますよね。例えば個人の脳波を測って、今はα波の放出値が高いから幸福度が高いんじゃないかというふうに。しかし、もう少し大きな視点から見て、例えば今、林さんと私がこうやってお話している時にお互いの間に存在する幸せ度を知りたいなら、それぞれの脳波を測るのではなく、私たちの間にある変数のようなもの、つまり関係性に着目していく必要があると思うんです。この関係性がすごく重要で、今この瞬間も林さんがいらっしゃるから私が話すことができている。確かに私が主体的に話しているのですが、同時に私の言葉は林さんと私の2人の共同作業でたまたま私から発せられていると言うこともできます。このような世界観で考えた時、幸せとは個人に還元できないところにあるのだと思うのです。

LOVOT誕生の元になった理論

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林:
そのお話はとてもおもしろいですね。苦が生まれるメカニズムのお話は、私たちがLOVOTを作る上で重要視している部分に通じるものがあります。私がそもそもLOVOTのようなロボットを作れるかもしれないと思ったきっかけは、慶應義塾大学大学院の前野隆司教授(※システムデザイン・マネジメント研究科委員長。学問分野の枠を超え、「人間にかかわるシステムであれば何でも対象にする」という方針で研究・教育を行っている。仏教にも造詣が深い)の受動意識仮説からなんです。
松本:
そうなんですか。私も前野先生とは親しくしてもらっているんですよ。先生は、自身の研究活動は仏教に極めて近いところにあると仰っていて、一緒に仏教の話もよくするんです。
林:
そうなんですね。私はこの受動意識仮説を知って、その後、世界の認知科学の研究者たちも、大局的には同じようなものの見方をしている人が多いことがわかり、この辺りに真理があるならば、私が思い描くロボットを実際に作ることができるという自信をもったんです。前野先生は受動意識仮説で、結局は意識すら現象であるということを説いていて、おそらくそれが今、松本さんがおっしゃった苦のメカニズム、からくりに近いんじゃないかと思うんですLOVOTが人の代わりに何か仕事をするわけではないけれど、LOVOTと人との関係性において、LOVOTの存在によって人がリラックスできて、癒やされる。その結果として、自分のもっている自然治癒力が高まって、今日よりも明日、元気になれるかもしれない。そうなるために少しだけサポートできるような存在を作りたい。それが今回のLOVOT開発の第一歩なのです。

これに関連する話で私がもう1つ重要なポイントだと思っているのが、人とそのそばにいる存在との関係性が、その人の認知にずいぶん大きな影響を及ぼすということです。例えば、認知症の患者さんに子猫を渡すだけで、感情の起伏が非常に落ち着くという例が報告されています。子猫は一切仕事をしないのですが、認知症の患者さんがつい攻撃的になったり、恐怖でパニックになるのを抑えてくれるという効果があるんですね。実際にこの子猫と同じような効力をLOVOTも発揮できる可能性が見え始めているので、子猫や犬を飼えない人たちがたくさんいる中で、1つの社会貢献になりえると思っているんです。
松本:
すごいですね。確かにその可能性は十分ありえますよね。

LOVOT=仏像?

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林:
この話は松本さんのような仏門に帰依されている方にお話していいのかどうか躊躇してしまうのですが、私たちが取り組んでいるロボット開発、つまり、無機物に魂を込めるという所業の先輩格は仏像だと思っているんです。言うまでもなく、仏像は仕事をしてくれません。しかも貴重な素材で作った仏像はかなり高価ですし、保管状況が悪いと腐ってダメになるし、毎日拝んだりもしなくてはいけません。合理的に考えれば、お腹を満たして生命を繋ぐためには必ずしも必要な物ではないのですが、仏像に祈りを捧げることによって心の安定や平穏を得ることができる。それは数千年以上も前の時代における、相当なイノベーションだったんじゃないかと思うんです。

そして、今、私たちが作ろうとしているロボットも同じコンセプトの範疇だと言えなくもないと思うのです。人の想像力は非常に豊かなので場合によっては仏像の形をしていない何かでも、祈りを捧げることによって心の平穏を得ることはできると思います。しかしコンテキストがある仏像の方が、祈りやすそい。そのコンテキストに沿って、最も思い入れをしやすい形を上手に作るのが腕のよい仏師だと思うんですね。さらに現在はテクノロジーが進化しているので、実際にその作った物を動かすことができるようになってきました。動かす時に、生き物に近いような動きにすると、私たちはそれほど抵抗なく愛でることができます。その生き物に近いような動きを突き詰めた延長線上にいるのがドラえもんなんじゃないかと。だから今、私はその第一歩となる存在を作っているつもりでいるんです。
松本:
なるほど。非常におもしろいですね。

仏教×LOVE

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林:
愛でるというテーマに関連してお聞きしたいのですが、LOVOTという名称はLOVEとROBOTを掛け合わせた造語で、LOVE=愛が重要なテーマの1つとなっています。その「LOVE」に関しては人それぞれ独自の価値観を持っていると思いますが、仏教と愛の関係性、あるいは僧侶である松本さんにとっての愛とはいかなるものなのでしょうか。
松本:
仏教では「愛」という言葉は自体はあまり積極的に使われません。「貪愛(とんあい)」という言葉もあるくらいで、自分の好むものをむさぼり求める貪欲という、人間のもつ根元的な3つの悪徳「三毒」の1つに重ねて使われることもあるくらいです。つまり、愛は「愛着」のように、しがみつくという意味合いで使われることが多いんですね。仏教では、ある対象に対してこうしたい、こうあってほしい、手に入れたいなどといった、囚われの心、しがみつく心を手放すことが勧められます。

そして先程も申し上げた通り、仏教では思い通りにならないことを「苦」と呼びます。でも、思い通りにしたいと思うその愛着が苦を生んでいるメカニズムなんだから全部手放していこうよと言われても、そう簡単にはやめられない。どうしても思い通りにしたいという愛着が心の奥底から自然と湧き上がってくる。この「わかっちゃいるけどやめられない」ところがまた、人間らしさを生むというか、人間を人間足らしめているもの。人間らしいところを全部捨て去ることができた人間が仏陀になるわけですから、ほとんどの人は仏陀にはなれないし、もし愛着を全部手放すことができたら、それは成仏です(笑)。私もよく「お坊さんで悟っているから執着なんてないんですよね」と言われるのですが、そんなわけないじゃないですか。普通の人たちと同じか、もしかしたらそれ以上に執着が強いかもしれません。その仏陀になれない人間が愛着を抱えて生きていく。人として生きるということはそれらもひっくるめて受け入れていくということだと思うんです。

その愛着の代表例が死別でしょう。大事な人が亡くなってしまった時、誰しもが取り戻したい、生き返ってほしいと心から願うでしょうが、それは無理なこと。でも、そんなことはわかっているけど何かしたい。例えば亡くなってしまった人に自分の気持ちを届けたいという時、仏壇を媒介としてご供養したりと、残された人へ祈りの気持ちの受け皿となってきたのが仏教だと思うんですね。合理的思考はAIが進化すればするほどどんどんできるようになっていく。じゃあ最後に人間に残るものは何かというと、合理的思考では無理とわかっちゃいるんだけど、そうはいってもやめられない、なんとか自分の気持ちを伝えたい、かたちにしたいという、“祈り”としか言いようがない思いの部分ですよね。こういうことがこれからの時代には重要になっていくのではないかと。そう考えた時にLOVOTも、愛というか、私の文脈で言うと、祈りということと重なっていく部分があると思うのです。
林:
よくわかります。愛という言葉そのものは非常に幅広くて、おっしゃる通り、定義しにくい部分を全部愛という言葉でラッピングしてしまっているがゆえに、誤解を生みやすいのだと思います。では先程の話にも出た「愛でる」と「執着」はどのような関係にあるのでしょうか。
松本:
「愛でる」も対象に気持ちを向けていく行為の1つではありますが……「愛」は扱う領域が広いので難しいですね。仏教では基本的に、嫌いなものだけでなく、好ましいと感じるものに対しても、愛着を持てば、それは苦を生むものと見ていきます。
林:
愛の中に執着も含まれるのでしょうが、道端に咲く花や犬や猫、小鳥などを愛でる気持ちも愛の1つだと思うんですよね。
松本:
確かに、そのような何かに感動して愛おしいと思う気持ちも愛だと思います。
林:
だとすると先程松本さんがおっしゃった、「祈り」は「愛でる」に近い心の動きなのでしょうか。
松本:
言葉の使い方は人それぞれですが、「気持ちを向ける」という意味では近いかもしれませんね。
林:
ただ、気負いなく愛でるという行為は意外に難しくて、その対象も少ないですよね。おそらくそこに犬や猫、もしくは仏像の存在価値もあるんじゃないかと。先程、LOVOT開発には仏像のような存在を作りたいという思いを込めていると言いましたが、その理由は人々が仏像を愛でるようにLOVOTを気負いなく愛でて、それによって心の豊かさや平穏さを得られればいいなと願っているからなんです。
松本:
なるほど。確かに人間のお葬式よりペットのお葬式の方が嘆き悲しむ人が多いなんていう話も聞くくらいですから、人間関係はいろいろ複雑なのに対して、ペットの方が気負いなく愛せるということもあるかもしれませんね。その、あまりいろいろ考えずにそのまま気負いなく愛でられるという存在に、ロボットがなりえる可能性は十分あるかもしれませんね。
林:
人間関係のいろいろ複雑な部分はLOVOTの守備範囲外なので、そこは役割分担じゃないですがお寺でぜひ受け持っていただきたいなと(笑)。
松本:
そうですね。ややこしいところはお寺で受け持ちます(笑)
林:
おこがましい話ですみません(笑)。本日はありがとうございました。とても楽しかったです。
松本:
こちらこそありがとうございました。LOVOTの完成を楽しみにしています。
さすが仏教界のトップランナー・松本さん。仏教の教えを交えながらの深くて興味深いお話に、思わず時を忘れて聞き入ってしまいました。ありがとうございました。
松本紹圭(まつもと・しょうけい):
1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。以来、計600名以上の超宗派若手僧侶が「お寺から日本を元気にする」志のもと学びを深めている。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。『お坊さんが教える心が整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。朝掃除の会「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。

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