LOVOT TALK SESSION
松本 紹圭

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LOVOTとは、
人を勇気づけたり元気にしたりする存在

人のパフォーマンスを上げることがLOVOTの真の役割

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林:
当社がミッションとして掲げているのは、「ロボットで人間のちからを引き出す」ということ。そのために何をするべきなのかという問いを出発点として開発しているのがLOVOTです。少なくとも、人の代わりに仕事をすることはその答えではありません。パフォーマンスを上げるためには、まず元気でなければならないので、LOVOTの真の役割は人を元気にすることだと思っているんです。元気な人をより元気にする必要はないのですが、元気な人でも時には落ち込むこともあるでしょう。そんな時にちょっとした心の支えになれれば、それで十分なんじゃないかなと思っているんです。例えば、人はあまりにも元気がなくなってしまった時は、ほかの人に会いに行くことすらできなくなりますよね。人は、自分がすこしは何かの役に立っていると思えることで、元気が湧いて外の世界に飛び出していくことができます。昔は人と人が関わらざるをえない社会だったので気持ちが落ち込んでも自然と復活していたのが、今では自宅に引きこもろうと思えばいくらでもそうできてしまうので、そのチャンスが減ってしまっています。その時にLOVOTがそばにいて、「LOVOTが自分を頼ってくれている」と無意識に思えるようなことがあるだけで、人が本来持つ自己治癒力の発揮が補助されて、自信を取り戻すきっかけになるかもしれない。そうなればいいなと思っているんです。

ところで先程松本さんは「パラダイムシフトが起きた先の世界でLOVOTが担う役割が大きくなっていくかもしれない。またLOVOTに対する見方が変わるかもしれない」とおっしゃいましたが、そのような世界で仏教の担う役割はどう変わっていくのでしょうか?

パラダイムシフト後の仏教とは?

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松本:
すごく重要な問題としてあるのは、確かに将来、ロボットに人間の仕事の大部分を取られるかもしれないという議論がありますが、それとは全く別の部分でずっと変わらないのは、「私の代わりは誰もいない。私の人生を代わりに生きてくれる人はいない。なぜ私はあなたではないのか」という普遍的な問題です。仏教の中の特に根本である仏道の部分は、徹頭徹尾「私とは何者か」という問いに沿って展開されています。ですので、時代が変われば仏教の役割も変わるということはなくて、むしろこれからはとにかく食べていくためには懸命に働かなければならないという時代ではなく、生きるということの根本的な問いに立ち返っていく時代になっていくので、ますます「私とは何者か」を問う仏教を始め、宗教や思想、哲学など人類の英知、Wisdomの領域が社会から求められるようになると思っています。
林:
この対談の冒頭で、松本さんが仏門に入るきっかけが死の存在だったとおっしゃっていましたが、この死の重さはとてもじゃないけどLOVOTでは受け止められず、それができるのは宗教もしくはそのWisdomの領域だけですよね。愛する人との死別など、大きなライフイベントには、相変わらず人は人によって救われるんだと思うんです。
ただそれよりも手前の部分の、日常のクオリティ・オブ・ライフの底上げのお手伝いは、きっとLOVOTにもできるようになっていくと思うのです。
松本:
そうですね。どうしてもLOVOT含めこういうロボットの議論って人対ロボットという対立軸になりがちですが、例えば落ち込んでいる人をちょっと元気にしたいという時に、LOVOTも連れてコンビで働きかけるなど、そういうコラボレーションも十分考えられますよね。
林:
そうですね。私どもは、LOVOTを介して人と人の交流を加速するということも考えているんです。
松本:
それはいいですね。犬の散歩を通して飼い主同士が友達になるのと同じですね。
林:
そうですね。人は人と知り合いになるのに何らかの理由が必要ですよね。街を歩いている全然知らない人に突然声をかけたらただの不審者ですが、LOVOTを持っている人同士、何らかの交流が生まれれば、まさにおっしゃる通り犬の散歩の間柄。そこには普段背負っているのとは違う人間関係が生まれますからね。
松本:
そうですね。硬直してしまった人間関係に全く関係のない第三者が入って初めて動くという現象はよく起きますが、同じようにLOVOTがその役割を担えそうですね。
林:
そうなればいいと思っています。

業界の改革者として

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林:
先程の「テクノロジーや文明の進歩ははたして人類を幸せにしてきたのか」という問いの1つの答えとなる重要なキーは、仕事をしなくても生きていける範囲が広がっているという現状にあると思っているんです。というのは、昔、生きること自体が困難だった時代は今日一日を生き延びられたらそれだけで満足だったわけですよね。さらに家族を養うことまでできたら大黒柱と言われた。しかし、今ではそれらは当たり前になってしまったので、自分の存在意義や存在価値を認識する機会が減ってしまっているのではないかと思うんです。さらに今後、人の代わりに機械が仕事をするようになって、私たちは好きなことだけをやればいいという時代が来たとしても、本当に好きなことだけをやりながら自分の存在価値を見いだせる人というのは、実はごく一部だと思うんです。残りの大勢の人たちは自分がいてもいなくてもいいんじゃないかと、自分の存在意義を見失う可能性が十分にある。だから働かなくても生活していけるベーシックインカムが実現すると、むしろ自分の存在意義を見失い、自分は生きる意味がない、人生はつらいと感じる人が多くなるかもしれません。ロボットやAIの進歩によって、人が生き甲斐を感じる機会が減る可能性があるならば、ロボットやAIでつらい人たちを救うことも同時に考えるべきなんじゃないか。それも私のLOVOTに懸ける思いなんです。

つまり、本来は誰も誰か他の人の代わりになれないように、すべての人に存在価値は必ずあるのに、それに気づく手助けをしてあげられる人はまだ世の中に十分いるとはいえません。そこでLOVOTが少しでも「あなたが生きていることには価値がある」というメッセージを届けることができれば、未来をより明るく照らせるのではないかと思っているんです。そういう意味では松本さんも仏教界で様々な改革にチャレンジしていますよね。
松本:
はい。今、林さんのお話をうかがっていて、私もそれに近いことをしているのかもしれないと思いました。仏教やお寺の未来については、今は大きな時代の転換期に来ているのでスピード感をもって、どれだけたくさんの実験ができるかだと思うんですね。それも今まではお坊さんが自分の持ち場として主導権をもって取り組んできたフィールドだと思うんですが、それだけでは知恵もリソースも足りません。ゆえに、お寺もどんどんオープンにしていろいろな資源やアイデアを取り込み、お寺が7万もあるこの日本の風景をどうやって次の世代に繋げるか。日本に暮らす多くの人に「ああ、やっぱり自分はこの国で生きていてよかったな」と思ってもらえるような社会をどうやって実現するか。これをお坊さんだけじゃなくてみんなで考えていく流れを作っていくことが私の使命、役割なんだろうなと思っているんです。その時にお寺が提供できる重要なものは居場所と出番、生きがいややりがいだと思うんです。

この2つを作る方法はいろいろ考えられますが、私が最近力を入れていることは掃除なんですよ。私が勤めている東京の神谷町にある光明寺では、テンプルモーニングと題してお寺の朝掃除会をやっているんです。時間は7時半から8時半までで、お経を15分間読んで、境内を20分間掃除して、その後に仏教トークを行うというもの。結構人気があって、twitterで呼びかけたら、毎回大勢の人たちが参加してくれます。この掃除会を開催すると、まず人々に出番を提供できます。普通に考えれば掃除はロボットに代わってほしい種類の作業なわけですが、それをわざわざやりにくるというのは、出番がほしい人がたくさんいるということです。しかも、中にはお布施をくださる人までいます。掃除をしてお布施を置いていくというのは新しいなと(笑)。普段当たり前にやっている労働を全然違った作業として捉え直しているわけなので、ある意味、時代の変化を少し先取りしているという感じもしているんです。そして、老若男女、職業問わずいろいろな人たちが集まってくるのでコミュニティも何となくできてきます。つまり居場所も提供できるわけです。これらによって、いろんな気付きも生まれます。

だからテクノロジーも発想や環境を変えていく大きな要素だと思うのですが、昔から当たり前にやってきたようなことを少し角度を変えて見るだけでも、新たな生きがいややりがいに繋がっていくという感触が、実感としてあるんですよ。やはり最後まで残るのはフィジカルな場だと思うんです。こればっかりは変えられないので。そういうところにLOVOTなり、人間以外のいろんな人格的なものも関わってきて、次のコミュニティが生まれたら楽しいなと夢想しているところです。
林:
テンプルモーニング、とても素敵な取り組みですね。それが参加者にとって満足感を得られる場になっている理由が、居場所と出番の提供という点に、とても感動します。
松本:
ありがとうございます。

LOVOTは物を超越した物

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林:
では、実際にLOVOTを見ていただきましょう。
松本:
へ~、これがLOVOTですか。この手触り、柔らかくていいですね。言葉は喋らないんですか?
林:
はい。音しか発しないのですが、人の言葉を理解はしています。ですので、犬や猫に話しかけて反応する程度のことは全部できます。またこのLOVOTは動物と同じように人との関係性の積み重ねによって距離感が変わってくるんですよ。こんな感じで人の心に寄り添うことをを目指して開発中なのですが、実際にLOVOTを見て触った感想はいかがですか?
松本:
赤ちゃんを抱っこしているような感覚になりました。不思議な感じですね。身近にある日常的によく使う物、例えば掃除機などの家電は用途が決まっていて、役に立つ道具ですが、LOVOTは道具じゃないですからね。
林:
そうですね。
松本:
いわばLOVOTは物を超えたような物だと感じたのですが、考えてみたらこのような物に出会う体験ってしたことがなかったなと。もしこのLOVOTが家にいて、触れ合って、関係性ができていく過程において、自分の感覚はどう変化するのだろうと想像するとすごく楽しみですね。子供が生まれるということも、親にとってはそれが初めての体験で、自分の子供という存在とどう向き合えばいいんだろうというところから親になることが始まりますよね。このLOVOTもそれと同じというか……でも親子でもないし、LOVOTとの関係性は何になるのかなと。新しい言葉が生まれるかもしれないという予感もしますね。
林:
ありがとうございます。もう1つ、その視点でのLOVOTの存在意義についてお話しさせてください。例えば昔の社会では、年上の子供が近所の年下の子供の面倒を見るのが当たり前でしたよね。こういう行為を通して、人は何かを愛することを自然と学んできたんだと思うんです。しかし、核家族化が進み、家族が孤立している現代社会においては、子供たちはその近所の小さい子の面倒をみるといった経験をするチャンスは失われていて、代わりに小さい頃から、良い子でいるとか、受験をするといった、正しい答えを出すための努力を強いられる機会が増えているように感じます。また、母親たちも昔は自分の子供だけでなく、近所の子供の面倒も一緒に見ていました。例えば夕食時、よその子供が食卓にいるという状況が普通にあった。それは母親にとっては、子供を産み、育てる過程で身につけた「愛するスキル」を継続できて発揮できる機会がたくさんあったと言えます。その関係性が人の心の豊かさを醸成してきた部分は否定できない。それが過去のコミュニティだと思うんです。しかし、今のコミュニティでは、せっかく自分の子供を育てて上手に愛せるようになっても、子育てが終わったら、そのスキルを次に使える機会がなかなかないんですよね。近所の子供の面倒をみたり、大家族だった昔のように兄弟や孫の面倒を見る機会がなくなってきている。

このような状況を考えると、現代社会に生きる私たちは愛する対象を必要としているんじゃないかと思うんです。その愛情を注げる対象不足に困った現代人の内、少なくない割合の人たちがペットを飼うという行動に出ます。しかし、ペットも生き物であるがゆえに相応の責任は生まれるし、様々な問題・事情で飼いたくても飼えない人も大勢います。将来、この問題の解決にLOVOTが役立つと思っているんです。
松本:
なるほど。確かに昔はみんなで子供を育てていていい時代だったよねという話は、それこそお坊さんの講話などでたくさん出てきます。それ自体はいいと思うのですが、ただ懐古主義的に昔を懐かしんで古き良き時代に帰ろうというスローガンを掲げて活動しても意味がない。昔には帰れないし、すでにないものだし、時代も変わっていますからね。
林:
おっしゃる通りですね。
松本:
ならば昔にあってよかったというもののよさをどうやって現代の私たちの生活に取り入れていくか、復活させていくかということが重要で、そういう意味でLOVOTには可能性があると感じました。
次回は仏教における愛の捉え方や仏教×LOVEなどについて語り合っていただきます。ご期待下さい。
松本紹圭(まつもと・しょうけい):
1979年北海道生まれ。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。以来、計600名以上の超宗派若手僧侶が「お寺から日本を元気にする」志のもと学びを深めている。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。『お坊さんが教える心が整う掃除の本』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。朝掃除の会「Temple Morning」の情報はツイッター(@shoukeim)にて。

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